――――すう、と目を開いて東堂京子が右を向く。そこには山県羽衣が立っていた。
「おやおや。気配も足音も殺したつもりでしたが」
そう言うと、細い目を更に細めて微笑む。
三月に入って暖気が増し、燦燦と日が照る気持ちの良い午後、草むらの上で横になっている京子の傍らで、同じように横になって寝ている“先輩”(※1)を見て羽衣は、
「“先輩”は相変わらず、“凍り姫”にも他の娘と同じように接するんですねぇ」
と、ころころと笑いながら言った。
「用件は?」
感情を表さない顔で用を訊く京子。
「福島教官が至急教官室に来るように、と」
対照的に笑みを絶やさない羽衣。
京子は愛くるしい顔を向けた“先輩”の頭を軽く撫でると、腰を上げて教官室に向かった。
「ごめんね。急に呼び出して」
部屋では教官の福島猪苗代が玄米茶を飲んでいた。猪苗代は京子に茶を勧めたが、彼女はそれを丁重に断った。
「黒百合の特殊強化合宿、って知ってる?」
問われた京子は、そういうことがあることだけは、と答えた。
「一年に一度、黒百合たちの心身を鍛え直すために行われる合宿なんだけど、白百合の中からも有能な娘を何人か選出して合同訓練として参加させることになっているの。で、今回はあなたにも参加要請が来てるわ」
そう言うと、猪苗代は机上の書類を一枚、京子に渡した。
「――これは参加者にだけ伝えられる事項なんだけど、合宿というのは名目だけ。中身は特殊な作戦行動なの。死亡する恐れもあって、その際は訓練中の事故死扱いとなるから、実戦と認識して参加するように」
何か質問は、と問うた猪苗代に京子は無表情で、いいえ、と短く答えた。
脇腹に甲冑で身を包んだ女性(※2)がデザインされたティルトローター機(※3)、アテナが大空を渡っている。機内には多数の黒百合と少数の白百合が乗っており、各自、自由行動を取っている。
一人の黒百合が、白百合たちに近寄ってきた。
「地獄行きのツアーに参加した気分はどう?」
「……良くは、ないです」
一人の白百合が、波風を立てぬよう慎重に言葉を選んで答えた。
「良くはないです。ふん」
答えた白百合の娘の傍に、流れるように近づく黒百合の娘。そして屈むと下から顔を覗き込む。
「――去年のこのツアーでどんなことが起きたか教えてやるよ。訓練の最中に白百合の一人が正気を失って、他の白っ娘や黒っ娘をぶっ殺したのさ」
真偽不明のこの言葉に内心穏やかではないが、平静を保っているふりをする白百合の娘。
「他にも自分の眼を抉ったり、自分の手や腕を喰い散らかしたりする黒百合も出た。はてさて、今回のツアーでは何人が生き残れることや」
やら、と続けようとしたところで、黒百合の娘は自分を突き刺す視線を感じた。そちらに眼を向けると、そこにもう一人、黒百合の娘が立っていた。
鋭い釣り眼。栗色の髪はポニーテールに結んでおり、左頬に刃物による傷痕がついている。
「原木、先輩――」
怯えが混じった声で彼女の名を出す黒百合の娘。原木美都は無言で彼女に近づくと、胸倉を掴んで彼女の顔が自分の目前まで近づけた。そのまま黙って睨みつけると、
「あまり不安を煽るな」
と言って手を離した。彼女に呑まれた黒百合がすごすごと戻るのを確認すると、美都もさっさと自分の席に戻っていった。
やがてアテナは旧兵庫県N市だった地域に降り立った。黒百合たちは素早く機から降りると設営を始める。白百合たちはというと、彼女たちはまだ席についた状態にあった。機内で待機するように、という命が下っていたからだ。
やがて、前方から教官の大井豊が姿を現した。彼女の長く艶やかな髪で隠れてはいるが、かつて右目があった場所に眼帯が当てられているのが見て取れる。
大井教官は、甲に魔除けの五芒星(※4)が描かれた白手袋で覆われた手を後ろで組むと、これから行うことの説明を始めた。
「……我々は今夜、この国の地理的中心に近いN盆地(※5)にて戦闘行為を行います。これは公にはできないものの、毎年一度は必ず行わなければならない、わが国にとって非常に重要な戦闘です。また、今回の戦闘で無事に帰還できた白百合は、適性があると判断され黒百合へ異動となります。……さて、初参加の貴女たちは、戦うべき相手や戦闘行為を行う理由、なぜ演習ではないのか、などという疑問を持っていることでしょう。それらの疑問を解消させるために、これから少々長い話をさせて頂きます――」
――今回の我々の相手は人間ではありません。正しいかどうかは別として、あえてその存在を呼称するならば、「鬼」です。「鬼」は他殺や自殺といった自然死以外の死に方をした死者の霊、死者と生者の悪念、邪念、妄念、恨みなどという負の感情、その他様々なナニカが集まったり分かれたりして様々な姿形を持つようになった存在です。「鬼」は実体を持ってはいませんが、人に憑いて心を乱したり体調を崩したりします。
前回の大戦後、この国は荒れていて、なかなか復興が進みませんでした。元々人々の心身が疲れていたことに加え、人々の宗教離れによる寺社仏閣の荒廃と戦争による「鬼」の増加が疲労に拍車をかけていたのです。
それを憂いた一部の宗教者たちが、術を行使してこの地(※6)に「鬼」が集まるように仕向けました。ですが、溜め込むだけではいずれ「鬼」は溢れ出てきます。「鬼」を退治する者が必要になりました。
過去にも「鬼」を退治する者はいました。宗教者、道師、陰陽師、力士、武士、軍人――。彼らは強い力を持っていました。強者こそが「鬼」を退治することができるのです。ですから今、この国で最も強者と呼べる貴女達が「鬼」を退治する役目に相応しいのです。
次に、「鬼」は通常の武器では大きな痛手を負わせることはできません。魔物を退治するには魔術を行使する必要があります。
まずは弾丸です。通常は鉛を使用する弾頭を、退魔の効果がある純銀(※7)で作成し、不浄穢れを祓う烏枢沙摩明王の種字(※8)を刻みつけてあります。また、後で烏枢沙摩明王の真言を書いた用紙を配布しますので、各自の得物、特に刀身や拳など攻撃する部位に真言を書いておきなさい。
次は防御に関してです。「鬼」は隙あらば貴女たちの中に入って乱心させようとします。狙撃部隊がそれを阻止しますが完璧ではありません。そこで、戦闘前には下穿きを脱ぎ、戦闘時には女性器を晒すことを要求します。
冗談ではありません。女性器を見せるという行為は、原始から続く真っ当で強力な魔除けの術なのです。「鬼」が間近まで接近した時に女性器を見せれば「鬼」は、さっ、と逃げるでしょう。
現在では廃れてしまったこの国の風習の一つに「豆撒き」というものがあります。年の変わり目に、大豆や小豆を使って一年の間溜め込んだ家内の厄を祓う風習です。この元となった国を挙げて行う本格的な行事を「追儺」と言います。追儺で「鬼」を祓う存在を「方相氏」と言うのですが、「方相氏」は元女性で、人間の時の名を「ぼぼ」(※9)と言いました。これはこの国では、「女性器」を指す古語です。貴女たちには、現代の「方相氏」になって欲しいのです。
いきなり鬼退治と言われても、にわかには信じられないでしょう。今はそれで結構です。
今は、それで――。
「今日、黄昏時(※10)に入るのは1630時頃。それまでに各自、準備を済ませておくように」
―続く―
※1……基地内に迷い込んできた犬。人懐っこく、もふもふで可愛かったので寮で飼うことにした。
最初はしろたん、しろたん、と呼ばれていたけど誰かのいたずらで上級生のスカーフが巻かれ、「しろたん先輩」と呼ばれるようになった。先生生徒ともに大人気。戦闘ばかりのゆりっこ達を癒してくれる。ちなみにオス。厳重な警備が敷かれている基地にどうやって迷い込んできたのかは謎。(ネモ船長・談)
※2……ギリシア神話の女神。国家の守護神にして戦いと技芸の女神で、更に処女神ということで、白百合に相応しいデザイン画。
※3……次世代の大型航空機。左右にプロペラがあるので一見大き目のヘリコプターに見えるが、このプロペラを様々な方向、角度にティルトする(傾ける)ことを可能にすることで、通常離着陸は勿論、垂直離着陸も可能になった。アニメーションでは『攻殻機動隊』、現実世界では米海軍のV-22オスプレイが有名。
※4……☆の形を一筆書きで表した絵。セーマン、ペンタグラムとも言う。陰陽道の基礎が占星術であることに加え、一筆で完了する→隙間がない→魔が入り込む隙がないことから「一筆書き」そのものが呪術の一種とされた。
※5……異説や諸説は他にも様々あるのだが、ここでは兵庫県N市を日本の地理的中心と定義している。
※6……窪み、池、湖、盆地など椀型の地形は、地崩れなどで転がってきた岩石や土砂、雨水、地下から噴出した有毒ガスなど、モノを受け入れる形となっている。怪異譚の世界でも淵、池、沼、湖などの底に主として魔物が棲みついている話が多くある。
※7……「銀が魔除けになる」という伝承は世界中にあるが、これは銀(厳密には銀イオン)に殺菌作用があることに由来する。また昔の有力者はよく銀でできた食器を用いていたが、これは銀が当時よく用いられた毒物である「砒素」に含まれる硫化物と反応して黒ずむことで、食事に毒が盛られているかどうかを判別するためだった。
※8……梵字(サンスクリット語)とも言う。一語一語に密教の仏尊(如来、菩薩、明王、天部、など)一体一体の呪術的効果があるとされる。烏枢沙摩明王は穢れと悪を焼き滅ぼし、不浄を清浄に転じ、世の中の不浄を祓う存在とされており、「うすさま」の語源である「ウッチュシュマ」(サンスクリット語)にも「穢れを清める」という意味がある。
※9……古代中国の神話から。男女の性器に魔除けの力があるという伝承は世界各地に残っている。
※10……夕暮れ時。「誰そ彼は」と人の顔の見分けがつき難くなるほど薄暗くなっている時分。